2014年4月28日月曜日

サンボ随想

 少々過去の話題になりますがハルランピエフ記念国際大会が終了した模様です。

毎年春にモスクワで行われる国際大会ですが世界大会、アジア大会と併せ、日本が

公式に参加する大会の一つです。

選手団の皆さま大変お疲れ様でした。 今回、女子選手が銀メダルを2つ獲得された

ようですね。 おめでとうございます。

昨年のユニバーシアード大会(金メダル2個、銀1個、銅2個)に続き、素晴らしい

戦果だと思います。

サンボを日頃専門的に練習している訳ではない選手が大半かと思いますが

不慣れな闘いとも言える場に出て結果を残すわけですから評価されるべきでしょう。

逆に、不慣れな日本選手たちに勝てなかったサンボ専門の各国代表選手は悔しい

思いをされたことと思います。

選手の皆さんの奮闘もさることながらバックアップをされていたスタッフの皆さま

も研究対策から同行まで大変お疲れ様でした。

今回の大会結果や、試合展開などの資料もこれっきりにせず、今後の選手たちの為

に是非共有して活かして欲しいと思います。

また、実際にマットに上がり戦った選手の皆さんの率直な感想も機会があれば

お伺いしてみたいものです。「サンボの試合、どうでしたか?」と。


 さて川口サンボも月曜7時からという時間だけではありますが、実のある練習をし、

試合に参加される皆さんが結果を残す為に役に立てるよう精進して参りたいと

考えています。

選手の皆さまには一つでも得意な技を身につけ勝負が出来るようになってほしいと

考えています。

むしろ一つの技で 全て決着を付けることが出来たらそれは大変価値ある事だ

といえるでしょう。

例え数少ない武器でも、どんな局面になっても自分の有利な態勢に誘導することは、

冷静さ、判断力、分析力、行動力、経験、勘など総合的な力が必要になるのは言うま

でもありません。

まさにサンボも 人間を知り、人間力を磨く手段でもあると言えると思います。

詰まるところ「人間とはどういう生き物なのか」という視点がこのサンボという一競技

においても根本を為すものであると思うのです。   

大変大きな話にも聞こえますが、これはサンボについてのみに関するというより、

世の中のこと全てに渡って共通する事柄でもあると考えます。

サンボは私にとっても「人間とは何か、どういう生き物なのか」を考えるフィルター、媒体

とも言えます。 

遡ればサンボはそもそも取っ組み合いです。 

その取っ組み合いに「サンボ」という一定のルール、即ち枠を設けているに

過ぎません。 それは他の競技についても同様です。

取っ組み合いの闘いを「裸体」「服着用」「殴る」「殴ると蹴る」・・・等に時代を経て

細分化された結果がレスリング、柔道、民族相撲等になり、後からそれらに

名前が付いたといってよいでしょう。 

闘いが細分化され、各競技になっていったそれらの中で個々の技術が

適応する為の変化を遂げていったと見ることができます。

それら細分化された競技からサンボ創造当時の概念に沿った競技が今度は、

ある目的の下、統合に向けて再び編纂された訳ですね。 

玉虫色であって当然と言えば当然かもしれません。

なので、このサンボという枠の中で闘う人間の表現が広義におけるサンボといえるでしょう。
  

では、その表現とは一体何か。

おなじみの仮説と参りましょう:D。  

それは「適応の結果に他ならない」のではないでしょうか。

私らしくない、小難しい言葉を使わせていただいております。

他競技と比較してどうであるとか、意図的に差別化を考えるという視点も大事

かもしれませんが、人間がサンボという枠、環境で適応、生存してゆくために

は如何に対応するのがよいかという視点をもって取り組むことも意味を持つと考えて

います。 

私個人であれば日本人がサンボで適応してゆく為にはどうすればよいかという

事です。

その結果、人間ですからやはり同じような動きになったりすることがあるのでしょう。

また地域、民族毎にもつ独特の表現もあるでしょう。

でも似たような技であったりすることも多い。即ち人間は同じような力が作用する時に

転ぶし、投げられるし、ひっくり返る。 

人間の重力に対する適応が妨害され、崩されているからですね。 

ちなみに関節技なら人間の構造に対して働き掛けるから極まるわけです。

これらによって「自然の法則に生きる人間の生命維持活動を妨害する働き」という

見方が出来ます。

妨害された結果が「淘汰」ですね。 「適応と淘汰」の視点です。

このような視点でみれば闘う技術とは何か、という事がおおまかに見えてきます。

自然の法則への適応を崩せるかどうか、が闘いにおいて有効か否かのポイントに


なってきます。

そこにアジアならアジア人がサンボという場で適応するための表現が特色として

結果に表れる、と考えています。 これは他民族でも同様です。

スラヴ人らしさ、モンゴル人らしさ 欧米人らしさ アフリカ人らしさ 
                                                                                                    
そして日本人らしさ。

ここで思うのは、我々日本人が「サンボらしさ」だと思っているものは実は

ロシア人らしさのことかも知れない、という事です。 

サンボはソビエト時代に創造されはしたのですが、ソビエト=ロシア、という事では

ありません。 それは我々の持つイメージに過ぎません。

ロシアが最大の国土を持ってはいましたが。

日本人は理由があって日本人らしさを持つわけですから一生懸命に他民族の真似を

しようとするのは木に竹を接ぐようなものです。

逆に他民族の彼らには彼らの先天的ともいえる理由があって彼らの表現が

あるのですね。 
                                                                                  
判りやすい処でいえば日本人と欧米圏とでは自然に対する「自然観」も異なるわけ

です。 日本人には古来から「自然と共に暮らす」「共生する」「自然と一体になる」

という思想がある。

しかし、欧米圏では「自然を力で制する」という発想がある。

これらの差異には宗教観(唯一神と八百万のカミ・・等)の違いも渾然となって影響していますから

事の良し悪しでなく両者の違いと捉えるべきでしょう。

そしてこの違いはそこに暮らす人々の様々な分野において影響を及ぼすことは

容易に想像できます。 


スポーツ、技術論に関してもやはり例外ではありません。

                                      ・・・次回へ続く