昨夜のサンボ練習会では主に立ち技の反復練習を行ないました。
「反復して技術を覚える、体得する」のはサンボに限らずあらゆる物事の基本でしょう。
「量質転化」という言葉があります。
一定の量をこなすことでその質的な変化をもたらす、という意味なんですね。
例えば自転車。
多くの子供が興味や好奇心を抱く乗り物です。
幼いころに乗った自転車も何度も何度も転んですり傷を作ってはまた乗って。
でもある日急に、転ばずに乗れる日がくる。
「あ、乗れた!?」と。
自転車に乗れた喜びが全身を駆け巡る瞬間です。 「コツ」を掴んだ瞬間でしょう。
それまでは 何度も転んで 痛い思いをして、「もう自転車なんかのらない!」などと
くじけてしまいそうになる気持ちをぐっとこらえて練習するんです。
自転車を買ってくれたお父さん お母さんも実は同じ痛みや心の葛藤を経験してきているから自分
の子供が同じように乗り越えて自転車に乗れて喜んでいる顔を見るのはさぞ嬉しい事でしょう。
喜びの共有ですね。
そしてその子供が親になったときに今度は自分の子供に自転車を買ってやり、一緒に公園に行
き、後ろから支えて(時々 手を離しているのに「持ってるから大丈夫、前を見て!」とウソをつき:D)、練習をするのでしょう。
そうやって自転車に乗る「コツ」を伝えていくのですね。
親が苦心惨憺 経験しているから「コツ」を伝えられるとも言えます。
技術を伝えるということはたくさんの量から質へ転化する時の「コツ」を伝えることとも言えないでしょうか。
そしてその「コツ」を伝えるには伝える側自身に、「量質転化」をした経験があれば尚良いと思うのです。
目指す目標が、両者間で明確にイメージ出来ると思うからです。
ではここで日本のサンボを見渡した時、どうでしょうか。
格闘技は説得力の世界です。自分が叩きのめされて初めてその技に好奇心が湧くといってもよいでしょう。 練習への動機、モチベーションが一気に強くなるのではありませんか?
抵抗したのに軽々と投げ飛ばされた、暴れたのに簡単に極められた、パンチや蹴りが見えなかった・・・。
そんな経験はお持ちではないでしょうか。
「その技は一体どうやったら身に付くのだろうか???」
生徒や練習生の こういった好奇心を先輩方や指導する側の方は呼び起こせているでしょうか。
練習生や 生徒さんに 質問されているでしょうか。
ちゃんと教え子さんたちを投げ飛ばしてあげているでしょうか。
その技、苦心してご本人は稽古はされましたか? 身に付いた技ですか? 御自身が本当に出来る技ですか?
ボクシングなら入門者を「実戦で」叩きのめしてあげるのが愛情でしょう。
レスリングならタックルの威力を身を以て「実戦で」感じさせてあげるのが愛情でしょう。
サンボならコーチの皆様が伝えたいサンボで投げ飛ばし、極めてあげる事が「サンボを習いたい」と言ってはるばるやってくる人たちへの愛情であり、礼儀でしょう 「実戦」で。
(様々な事情によりそれが叶わない、力を持った指導者や先輩の方々がいらっしゃる事も事実ですが)
とりもなおさずそれは「感動」と同時に「好奇心」を呼び覚ます、大事な作業でもあると思うのです。
好奇心さえ生まれれば選手達はどこでも練習を始めます。自転車と同じです。
止まっている相手に「体落としはこうだ、背負い投げはこうだ」と柔道のコーチが言っても、また護身術の大家が「胸ぐらをつかんできたらこうすれば一捻りさ!」と自慢げに講釈しても 聞き手や選手の心には深く届かないでしょう。つまりは「納得」に繋がらない。サンボしかり。
格闘技の世界ほど眉唾モノが跋扈する世界は無い と言われます。
私はサンボにはそんな世界になってほしくありません。
子供の好奇心、親の愛情 共に練習、そして達成 喜びの共有。そしてまた次世代へ。
自転車であろうと、サンボであろうと「伝える」事の本質は変わらないのではないでしょうか。
確かな時間を重ねて 先人の方々が私らに伝えてくれたサンボを次世代へ伝えてゆく。
特別な作業は要りません。競技に対する個々の誠実な姿勢、それだけです。
サンボをやっていて喜びを感じる瞬間てなんでしょう。
技が思った通りに掛かったとき。試合に勝ったとき。上達が感じられたとき・・・。
ひとにより様々でしょう。
どんな形の喜びでも誰もがそれを感じられたならサンボに携わる者としては嬉しく思います、共有できて。
そして喜びを共有できるひとが一人でも増えたとき今サンボに携わって頑張っている皆様の汗が報われたと言えるのでしょう。
昨日も暑い中御参加くださった皆様 ありがとうございました。
また一緒に練習しましょう。
なお、8月13日(月)は、お盆のため練習はございません。
次回の練習は、8月20日(月)となります。